■間身体性は超越論的間主観性への通路になるか? 以前の記事(2021/5/1)の続きになるが。この記事で紹介した坂本秀夫氏の著書『他者としての身体』(ヴィツーソリューション、2009)を読んで、続きを書く。 「他者と私とは、いわば同じ一つの間身体性の器官なのだ(nous sommes comme les elements d'une seule intercorporeite)」(SS,213/(2)18)*1。その際、メルロ=ポンティがその思索の端緒とする一契機は手の二重感覚であった。手の二重感覚における感覚(sentir)と感覚内容(senti)の二重性が私の身体と他者の身体の間にも成立す…