室町後期〜江戸初期の武将。伊達家家臣。多々良氏。備前守。
天正13年(1585)9月伊達政宗に攻められ、蘆名盛隆を頼るが
盛隆没後の同16年伊達成実、片倉景綱の仲介により伊達政宗に服属した。
翌17年、伊達政宗の蘆名氏攻撃の際、弟・片平親綱と共に戦功を立てた。
翌18年の葛西・大崎一揆で、佐沼においても戦功を立てた。
翌19年胆沢郡20余郷を給され、前沢に居住した。さらに朝鮮出兵、大坂の陣にも従軍。
伊達政宗の信頼厚く、数年伏見で側に仕えた。
この時、豊臣秀吉から伏見城修築を命じられ代役を務め、主家の財政不如意の折
自分の知行三分の二を上納し、完成させた。
これらの功績を賞され、伊達一門衆として厚遇を受けた。