ベルリンの宿では英国人のモリソンという日本語をよく話せる人が旅行者の世話を大変よくしてくれた。官庁の手続きや列車の切符迄も買って呉れる。行く先々には便利な人がいてくれるものだ。言葉が判らなくても心配はない。 寝台車でベルリンを離れた。途中ベルギーとの国境で旅券を調べられ翌朝パリーへ着いた。 パリーへ戻ったのは十二月二十二日で再び諏訪ホテルの人となった。月末に出港する船で帰国する人がボツボツ集まって来て、このホテルの仲間になった。その内の一人にアメリカのカーネギー水産研究所で魚の脳髄を永年研究していた東北大学の教授で畑井新喜司という人と知合になった。この先生とは帰国後も音信を続けていた。(後大正…