明治の終わりごろのこと。 大阪駅前に「三越呉服店」の 大きな看板が掲げられた。 「 婦人像(紫調べ)」 ▶︎「婦人像(紫調べ)」 岡田三郎助 当時三越呉服店(のちの三越)の理事であった 高橋義雄の夫人をモデルに描き、 明治40年(1907年)開催の「東京勧業博覧会」で 一等賞を受賞した洋画家・岡田三郎助の作品を 三越呉服店が自社の宣伝ツールにしたもので 当時大きな話題を呼んだ。 ▶︎ 高橋義雄(1861〜1937) 出 典;Wikipedia 慶應義塾生だった高橋は、福澤諭吉が創設したばかりの『時事新報』の記者となる。 大規模な「近代化改革」を推し進めることで、誕生した日本初の 百貨店「三越」…