古代において大和の国を「大養徳国(やまとのくに)」と称していた時期がある。次の流れで紹介していく。 ・107年の中国への遣使と倭面土・卑弥呼の時代とヤマト・大和国・威名大村骨蔵器・鏡王(かがみのおおきみ)・大養徳国(やまとのくに)・調伊企儺(つきのいきな)と大葉子(おおばこ)・調伊企儺と大葉子の逸話 ■107年の中国への遣使と倭面土 安帝の永初元年(107年)冬十月、倭国が遣使をしたとされる。このとき倭國王の帥升が遣使をしたと記録が残る。 中国の側の文献によって国名(当時は小国が乱立)表記がいくつかある。 北宋版・通典に 安帝永初元年 倭面土國王師升等獻生口 との表現がある。 「倭面土」の読み…