神道天理教会本部神楽式図(明治29年) 教会公認を要望する心は、再び信徒の胸に燃えて来た。真意を伺うと一寸ふいたる芽は今度は折れるとの仰せである。 重なる信徒が安堵の飯田、櫟本の梶本家で相談の上、東京府で出願の決心をなし、神意を伺いたる所、同じ理やつれて通ろうとあったので、諸井、清水の両氏先発し、前館長は松井、平野両氏と三月二十七日地場を出発して、神戸より横浜に上陸し、四月一日着京さられたのである。 上京後直ちに準備を整へ、神道本局の添書を得、四月六日東京府へ出願した。越えて十日、知事より「書面願之趣聞届沿候事」という指令があった。是れ天理教会が公認せられた日で、その時教会は下谷区来た稲荷町に…