台湾嘉義県の県轄市。嘉義県政府の所在地である。太保市の旧名は「溝尾庄」である。1786年、林爽文の反乱の影響が台湾中部から南部にかけて広がると、郷人の王得禄は壯丁を募り政府軍に協力して反乱鎮圧に従事し、その功績により千総に封じられ、また1806年には海賊蔡牽の平定での功績が認められ浙江提督に封じられている。1838年、台湾に戻った王得禄は「太子太保」が加封され、清代を通じて最も高い官位を得た台湾人となった。その王得禄を記念し、その故郷を「太保庄」と改称した。なお王得禄は1841年、アヘン戦争に際して澎湖の守備に従事しながら病歿した。生前の功績を評価した清廷により「太子太師」と追贈されている。「太保郷」は1991年、県政府の移転に伴い県轄市に昇格し現在に至っている。