福岡県神社誌には、 『土民等は小祠を造り太刀塚を祀りたりしに、嵯峨天皇弘仁の世に至り村人等集り計りて八幡神を齋き奉らんと豊前國宇佐宮に御分霊を謹請し、弘仁十四年葵卯年宮殿を建て、応神天皇 神功皇后 三女神三座を齋き奉りたり。』 と記載されています。 わたしなりに解釈するには、『村人たちは、小さな社を造って太刀塚をお祭りしていましたが、嵯峨天皇の弘仁の時代、地元の人たちは集まって相談し、八幡神を丁寧にお祭りしたいので、豊前の国の宇佐八幡宮に御霊を分けていただきたいとお願いし、弘仁十四年(823年)社殿を建て、応神天皇 神功皇后 三女神の三柱を丁寧にお祭りさせていただきました。』という感じです。 …