明治 40 年以降になると、学芸会は儀式などの行事と同時に催され、保護者や学校関係者に日常の学習の成果を披露する行事として、確固とした地位を占めるようになってきます。(佐々木正昭「学校の祝祭についての考察:学芸会の成立」) 明治末期から大正初期にかけては、西欧の近代的な教育思潮の影響もあり、それまでの形式的な学習成果の発表だけでなく、取り組みの進んだ学校においては「対話」、「問答」、「朗読」、「舞踊」なども次第に取り入れられるようになりました。 大正3年(1914)京都府師範学校付属小の「演技順序」 「唱歌」「朗読」「談話」で構成されています。(佐々木正昭「学校の祝祭に関する考察:学芸会と唱歌…