前回は、北宋が北方民族が建てた王朝と和議を結ぶ形で平和を保ったことについて見ていき、北宋が滅亡したところまで見ていきました。今回は、宋代を通しての文化について見ていきます。 →儒学の分野では、訓詁学に代わって宋学が生まれた。北宋では周敦頤(しゅうとんい)が太極図説(たいきょくずせつ)を、南宋では朱熹(しゅき)が四書集注(ししょしっちゅう)を書いた。朱熹が宋学を大成させたため、朱子学とも呼ばれる。朱子学は日本にも取り入れられ、江戸時代に広く学ばれた。 朱熹 →歴史学の分野では、以前登場した司馬光の資治通鑑(しじつがん)のほか、欧陽脩(おうようしゅう)によって新唐書(しんとうじょ)や新五代史(新五…