・応永19年(1412) 8.29 後小松天皇が譲位し、躬仁親王が践祚した(称光天皇)。(『常永入道記』『山科家礼記』) ・1418年 足利(源)義持は明に帰国する呂淵に使者を随行させた。そして、倭寇に妨害されて明に使者を送れなかったことの由を奏上した。こうして以前と同じように室町幕府の使者はもてなされるようになったが、明の倭寇からの被害はその後も続いた。(『明史』日本) ・1419年 チンギス・カン,テムジンの一族である、ウルク ムハンマドがサライにて権勢を握った。 ※モンゴルでの内紛は拡大し、ジョチ ウルスは分裂した(宮野裕『「ロシア」はいかにして生まれたか』)。 ・応永25年(1418)…