〔作州津山城図〕大手門への登城道にあたる ので森一族、家老関一族の名が多く見られる。元禄10年(1697)津山城請取に際して作られた絵図。 元亀元年(1570年)、美濃金山城で織田信長の家臣・森可成の六男(末子)として生まれる。誕生と同年中に父が戦死(長兄の可隆は父に先立って戦死)したために次兄の長可が家督を継いでいる。 天正10年(1582年)の春頃、「長重」を名乗り織田信長に小姓として出仕するが、同僚の梁田河内守と揉め事を起こし母の元へ返された。結果としてこれが幸いし本能寺の変 に合わずに済んだ。 天正12年(1584年)4月9日、兄の長可が小牧・長久手の戦いで戦死。この時点で既に他の兄達…