寛仁親王は三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第二子、第一男子として1946年1月5日、東京で生まれた。大正天皇の孫、明治天皇の曾孫にあたる。
夫人は信子妃殿下(政治家の麻生太郎氏の妹で、吉田茂元首相の孫)。子は、彬子女王、瑶子女王の2人。姉は近衛やす子(やす子内親王)、弟は桂宮宜仁親王と高円宮憲仁親王、妹は千容子(容子内親王)。
宮号は個人につくものなので、三笠宮寛仁親王とするのは誤用。
学習院大学法学部卒業。豪放磊落な性格で知られ、その風貌から「ヒゲの殿下」とも呼ばれる。
信子妃殿下とは1980年11月7日に結婚。近年は夫婦仲が悪化していることをニューヨークタイムズのインタビューで認めている。
近年の皇室典範改正問題では、女系継承反対を唱えている(男系の女帝は容認)。天皇家の男系子孫にあたる旧宮家の男子のうち適当な者を皇室に復帰させるべしとの考えを示している。側室制度の復活についても原理的には賛成だが実現は困難としている。
アルコール依存症であり、治療中であることを公表している。
2012年1月に東京都千代田区佐々木研究所付属杏雲堂病院に入院。同年6月6日に薨去。66歳だった。