「豊砲台」 第一次世界大戦の後、激しい財政負担に苦しんでいた英米日などの主要国は、世界軍縮会議の結果、ワシントン海軍軍縮条約を締結し、旧式戦艦と未完成艦の廃盤を決定しました。 その結果、余剰となった艦砲は東京、対馬、壱岐、鎮海などの重要海域の要塞砲として用いられることになります。 豊(トヨ)砲台には日本海・対馬海峡・朝鮮海峡の制海権を確実なものにするため、同条約により航空母艦に改造されることになった「赤城」の40.6cm可農(カノン)砲一基2門が移設されたと言われています。(長門、土佐という説もある)※のちの戦艦大和に搭載された主砲は18インチ=46cm。 当時は世界最大級の巨砲。一体どれほど…