・保元3年(1158) 8.11 後白河天皇の譲位により、守仁親王は践祚した。(『兵範記』) ・平治1年(1160) 12.14 源頼朝は叙爵し、右兵衛権佐に任官した。(『尊卑分脈』『武家年代記』) ・平治1年(1160) 12.28 源頼朝は官職を剥奪され、伊豆国に流されることが決まった。(『武家年代記』) ※頼朝が助命されたのは、待賢門院,璋子と近しい彼の母方の実家である熱田大宮司家が奔走し、上西門院統子内親王・後白河院姉弟、また平清盛の継母池禅尼宗子に働きかけたとも推測される(坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏』)。 ・佐々木(源)秀義は本拠の佐々木荘を追われ、母方の姉妹の夫である藤原秀衡を頼…