いまは九重の上、お噂とて、なかなか洩れ難いが、 かつて吉田定房の邸におられた皇太子時代には、 そうした豪気による放埒の御片鱗が、 しばしば世上に聞えぬでもなかった。 たとえば、その当時。 ある年の秋の一夜だったが、 西園寺《さいおんじ》の 前《さき》ノ太政大臣実兼《さねかね》の末の姫が、 とつぜん北山の邸から姿を消した事件など、 ひところの騒ぎであった。 姫はまだ十七、 深窓の愛《いつく》しみにくるまれていたが、 佳麗な容姿はかくれもなく、 つねづね若公卿ばらの野心のまとであった。 それだけに、西園寺家では 「——いかなる悪党の仕わざか。 もしや野伏《のぶせり》から人買いの手にでも渡されてか?…