Publius Cornelius Scipio Aemilianus Africanus Minor Numantinus (紀元前185年頃〜紀元前129年)
小アフリカヌスとも。
父親はマケドニアの征服者パウルス*1だったが、大スキピオの長男の養子となる。
第三次ポエニ戦争に際してはカルタゴ攻囲の指揮を執り、紀元前146年にこれを陥落させている。
後、さらにヌマンティア戦争に際しても指揮官となり、ヌマンティアを占領、破壊している。
ポリュビオスによれば、3年に及ぶ攻囲戦に末にカルタゴの陥落を目の当たりにしたスキピオは、次のように語ったとされる。
炎上する都市を目にしたスキピオは滂沱と涙を流し、都市と、国家と、王朝と、我ら人間を含むあらゆるものを襲う避けられない流転の運命に思いを巡らし立ちつくしていた。
このとき彼は強大な都市であったイリオン、そして偉大であった諸帝国――アッシリア、メディア、ペルシア、もっとも間近くはマケドニア――のことを思っていた。
彼は故意にか、それとも自然にか――おそらくは、彼の無意識のうちから出た言葉であろう――次の言葉を引いていた聖なるイリオン・プリアモス及び鎗術秀いでたるかの族 擧げて一齊に亡滅の時來るべし。*2
私はかつて彼の教師であったこともあり、この言葉の意味をそのまま問うた。
彼は、世の有為転変を示す光景を目にし、祖国ローマの名を直接示すことはしなかったが、その運命を案じているのは明らかだった。今ひとつ、彼の言葉を記録に残しておく。
http://www.fordham.edu/halsall/ancient/polybius-punic3.html
カルタゴ市を火に掛けよとの命令が届いたとき、彼は急に振り返って私の手を掴んで言った。
「ポリュビオス、これが偉大な瞬間であることは知っています。しかし、私は恐れ、不安なのです。いつの日にか、私の故郷の都市も、これと同じ運命に見舞われるのではないかと」