東山地区の行者の道 長岡の東山から小千谷市の東山にかけて、中世「行者の道」を想定したのは昭和44年発行の小千谷市史の編纂委員で当時新潟大学人文学部教授の井上鋭夫氏である。以降、山古志村史・長岡市史双書にも引用されている。小千谷市史から該当する箇所を下記に引用する。 第二章 山岳信仰の発展より 朝日と山寺 牛ヶ島の万覚院(真言宗醍醐派)は、今も修験の法印の堂舎である。ここで信濃川を渡り、木津(川港)に上がると、「花立沢」という地名がある。元禄のころまで対岸「花立」の船岡観音の堂であった木津の三仏堂(地蔵・観音・不動)には、地蔵も含まれるが、この地蔵がもとあった「地蔵沢」を左に、「七ツ倉」を右に見…