1884-1966。ドイツ文学者、文芸評論家。
東京大学在学中に夏目漱石の知遇を得て、高浜虚子、寺田寅彦らとともに「木曜会」に出席。生涯漱石を敬愛し、全集刊行に従事し、その文学性を考究。世阿弥や芭蕉の研究家としても知られる。
明治44年「中村吉右衛門論」を発表したことで、演劇評論家としても名を馳せた。二代目左團次の自由劇場の批評をめぐって小山内薫と論争した。大正5年の漱石の死を機に演劇評論からは離れたが、終生、初代吉右衛門と親交を結んだ。東京音楽学校の校長を昭和21年から24年まで勤めた。