元サッカー選手、サッカー指導者。
1960年8月24日生まれ。長崎県出身。長崎県立島原商業高等学校、大阪商業大学卒業。
現役時代はマツダサッカークラブでフォワードとして活躍。現役引退後、指導者に転身。
1995年、サンフレッチェ広島ユースを率いてJユースカップ優勝に導く。その後、若手選手の指導力を評価されアビスパ福岡、大分トリニータのサテライト監督を歴任した。
2001年5月、成績不振を理由に解任された石崎信弘に代わり大分トリニータのトップチームに監督に就任すると、翌年J2を制覇し大分のJ1初昇格に貢献。2003年シーズンは、常に残留争いを繰り広げる苦しい戦いを強いられながら、最終節でベガルタ仙台と引き分け残留に成功。
2004年は、2月からボローニャなどイタリアのクラブを視察するなど、ピッチ外からサッカーを伝える解説者業にチャレンジ。7月よりアルベルト・ポボル監督辞任に伴い、当時降格の危機にあったセレッソ大阪の監督に就任。見事、J1残留を果たした。2005年シーズン、リーグ戦首位で最終節を迎え、勝てばリーグ優勝という大事な試合だったが、ロスタイムで同点に追いつかれて引き分け、惜しくも優勝を逃した。2006年シーズンは開幕から不振で、4月18日にセレッソ大阪の監督を解任された。
2008年、モンテディオ山形の監督に就任。リーグ戦を2位で追え、クラブ初のJ1昇格へと導いた。J1では厳しい戦力ながらも、2009年と2010年はJ1残留を果たしたが、2011年は最下位でJ2降格が決定し、この年限りで監督を退任した。
2012年、徳島ヴォルティスの監督に就任。