これまでに何度か触れたと思うが、80年代のテレビ局は、NHKを除いてほぼ出入りが自由だった。 もちろん、受付もあり、警備員も常駐しているのだが、当時は社名を名乗り、訪問先を告げれば、たいてい入局が可能だった。 そのため、芸能記者になりたてのころは、毎日、朝から各テレビ局の食堂やスタジオをはしごし、情報収集に勤しんだものである。 そんなユルユルだった入館体制が一変したのは、ある事件がきっかけだった。 それが、東京都千代田区二番町の日本テレビ6階制作センターで、平成7年(1995)12月20日夕方に起こった、安達祐実宛の郵便物爆破事件だったのである。 「日本テレビ放送網アナウンス部 安達祐実様」と…