南北朝時代以来、中讃の豪族長尾氏が居城とした山城。 南北朝時代の四国では、足利尊氏が建武の新政に叛旗を翻して敗れ、九州へと落ちた際、その一族であった細川一門が四国へと派遣されて現地の勢力を足利方へとまとめたことから、四国、特に阿波、讃岐、土佐は、細川氏の重要な勢力基盤となっていた。また、この功と基盤を背景に、室町幕府内においても重要な地位を与えられるようになり、細川宗家の清氏は、2代将軍義詮の治世で幕府執事にも就いている。 だが、清氏の強引な手法が嫌気されたのもあって、幕府内の政争に敗れ、やがて敵対する南朝方に降り、最終的には基盤のある四国で再起を図ろうとするも、正平17年(1362)に讃岐の…