1916年長崎県生まれ。二重被爆者。
旧制中学卒業後、長崎三菱造船株式会社に入社。製図工として勤務する。
出張先の広島と帰郷した長崎で相次いで被爆。
終戦後、解雇され、長崎に駐留していたアメリカ海兵隊に通訳として従事する。その後、中学の英語教員として7年間の勤務のあと、三菱造船へ復職。定年までタンカーの設計を担当した。
2006年8月、90歳で出演したドキュメンタリー映画『二重被爆』がニューヨークの国連本部で上映され、現地で反核のスピーチを行った。
また、十代から短歌をはじめ、1999年、第37回原爆忌文芸大会で長崎県知事賞を受賞。