小説という散文形式は人間の業の深さを計算させる精巧な機械のようなものなのかもしれない。 和田芳恵『小説と事実 長篇「暗い流れ」を書き終って』昭和五十二年二月二十五日 ツイッターというSNS形式は人間の業の深さを炙り出す装置のようなもの、と当初から言われていた。 高峰秀子も原節子も晩年はひたすら本を読みまくっていたそうだ。それまで他人に見られ鑑賞され撮影され評されるばかりの人生で、自ら知識を得ることに飢えていたのだろう。生来が知性的な人物であったことの証である。 東浩紀のyoutube雑談配信を見て面白かったので『ゲンロン戦記』を読み返したら面白かったので来週やる吉田豪とのトークイベントが近所な…