日本の江戸時代初期の1609年から1612年にかけて発生した疑獄事件。1609年ポルトガル船のマードレ・デ・デウス号を長崎で撃沈した有馬晴信が恩賞として旧領回復を望んだため徳川家康側近の有力者である本多正純の家臣の岡本大八に近づき賄賂を贈った。事件が発覚すると大八は逆に晴信の長崎奉行暗殺未遂を暴露して大八は処刑、晴信は領地没収の後に斬殺された。