1868年〜1952年 軍人、政治家。二・二六事件時の首相。 福井藩士の子として生まれ、海軍兵学校に進む。1924年には海軍大将となり、連合艦隊司令長官を務める。いわゆる「条約派」の中心人物。 1932年に田中内閣の海軍大臣となり、後、斎藤内閣でも海相を務める。斎藤内閣が倒れると後継首相となる。1936年の二・二六事件では辛くも難を逃れる。 辞職後は重臣として活動。終戦工作などで大きな役割を果たしている。
軍令部長だった鈴木は1929年に侍従長に就任します。次官の時もそうですが、鈴木はこういう時、まず家族に相談する人であったようです。二人の弟からも勧められ侍従長になるのですが、就任直後は軍令部長の時は秘書や副官といったサポート係がいたのに侍従長にはそういった役割の人がいないことや、あまりにも暇なのにいつ陛下からお呼び出しがあるか分からないので控えていなければいけないなど、海軍との違いに戸惑っています。なお鈴木が侍従長になるに当たり、軍令部長から侍従長では宮中席次があまりにも下がってしまうということで、一木喜徳郎の配慮で形式的ですが枢密院顧問官兼任となります。この配慮がのちのち大きな意味を持ってく…