いわゆるSDGs系の運動を見ていて不安になるのが、そこで唱えられる「持続性」というものが、「協調しながら」「皆が」持続するという前提に漠然と立脚していることだ。高級な理性的要素の集合体じみたものになっている、という表現も可能だろう。 私は思う。 いずれどこかで、自分たちの共同体が「持続」するために他の何かを公然と犠牲にするタイプのムーブが「SDGs」っぽい看板を掲げながら人々を誘惑してゆくだろう、と。「それはSDGsちゃうで!サバイバルや!」とツッコみたくなるが、現実的にみて、たぶんそのインチキくさい言説は通用してしまう。 重心不定なSDGs概念は、特定の思想誘導に利用されやすい 真面目なSD…