77年目の終戦記念日に寄せて 色んなブログやツイッターを読みました。 アメリカに無条件降伏をして 婦女子が大変なことになると 自決を覚悟した。 と言うお話。 私の母は 元来ノー天気な昭和5年生まれの 終戦時には多分15~6歳だったと思います。 女子挺身隊で 女学校はほぼ休校状態。 毎日軍事工場で お蚕から 落下傘のパラシュートを作っていたそうです。 終戦の時に思った事は ・・・「あ~これで 工場に行かなくても済む。 防空壕に入らなくても済む」 とほとんど何も考えていない能天気女学生だったようです。 東北の山村には 終戦の恐怖・・・と言うより 戦争に行った何処どこの誰さんが復員して来たとか、 何…