ひとたび、第二聖諦(苦集聖諦)を如実に知見したならば、あなたは過去、未来及び現在の三時への疑惑を超越することができる。 《清浄之道》では以下の様に言う: 「彼は、斯くの如くに、名色が、縁に依りて(paccayato)転起した後、今まさにその様であるが通り、過去世が縁によって転起する事を観察(samanupassati)する(のであるから)、未来もまた縁によって転起する(事が分かる)のである。」(Vm.679) この段階に到達したのであるならば、あなたはすでに度疑清浄(Kaṅkhāvitaraṇa-visuddhi)<注76>を成就したのだと言える。 唯一、この段階にきて初めて、観の修習を始める…