徳川道

(地理)
とくがわどう

幕末に開かれ、神戸市の六甲山中に一部残存する古道。
 ペリー来航は、泰平の夢をむさぼっていた日本人にとり驚天動地の大事件であった。以来、米英露蘭と次々に和親条約を締結させられ、次いで修好通商条約が締結されて安政の開港となった。
 慶応元年には兵庫開港問題が起こり、慶応三年、ついに兵庫開港の勅許が降りたのである。
 そこで幕府は、生麦事件の二の舞を避けるために、急遽西国往還付替道、後に徳川道と呼ばれる道を作り上げた。

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