主イエスは山上の説教の最初で「幸いな人」はどのような人かを教えています。 今日は7節、「憐れみ深い人々は幸いである。その人たちは憐れみを受ける」を思いめぐらしました。これはキリスト者に対する教えです。そして基本的に、自分は少しも憐れみ深い者ではないとのキリスト者の認識があります。キリスト者は「心の貧しい人々」で、神を思うこと少なく、自分のことしか考えない自分であるを知る人です。それゆえ、神の御心を大切に思い、また御心に従う歩みをしようとします。 憐れみ深い人々は幸いとイエスが語るとき、キリスト者が憐れみ深い人になることができる理由が前提とされています。つまりキリスト者は神の憐れみを受けているの…