すずしさをわがやどにしてねまるなり 元禄2年(1689)5月17日、出羽・尾花沢に着き、同月27日まで門人の鈴木清風邸に逗留する。清風は、紅花問屋を営み、江戸との往来もあり、芭蕉の門に入る。掲句の前文には、「尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども、志いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比(ひごろ)とヾめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。」とある。当時も、大商人といえば、強欲で吝嗇家が少なくなかったのであろう。しかし、清風は遠路はるばる訪ねてきた芭蕉を厚くもてなしたのである。もちろん、芭蕉が俳諧の師であることにもよると思うが、ただそれだけでなく、…