四国を統一した長宗我部元親、そして足利将軍を追放し畿内に新たな政権を打ち立てた織田信長。 元亀3年(1575年)に一度矛を交えるも、この両雄が再び激突することは時間の問題であった。 かくして天正2年(1582年)。 信長の毛利領侵攻をきっかけとし、元親が主導で形成していた「信長大包囲網」が発動。 対する信長も浅井、そして武田といった強力な大名たちとの同盟に基づき応戦し、9万vs9万の大規模な東西大乱が幕を開けることとなった。 この戦役は、二つの大きな戦い、すなわち大坂本願寺合戦と竜田の戦いにおける、包囲網軍側、とくにその中心人物である元親の活躍と異様な軍才により、包囲網軍側が圧勝する事態に。 …