宝永5年8月24日。先年から自ら是トと号した岩下又左衛門がこの夜また逐電する。この夜の番人は、夜は尾崎忠助・昼は大久保源左衛門・夜は大田藤右衛門・夜は田島儀兵衛・昼は都筑理左(右)衛門であった。28日に小頭に報告したのは、24日は1日中牢を新たにこしらえるため大工4人がやって来おり、しきりと叩いたりして音がしていた。この音に紛れて居所の畳を上げて板をはがし、深夜に板をはがしたところから縁の下へくぐり、西の雪隠の不浄口から逃げ出し、西の垣をくぐって外へ出たと云々。実はそうではなく、番人が酒を飲んで酔っ払って熟睡する間に前の戸をそっと開け、入口の戸も開けて草履まで履いて出て行った。あるいは番人の鼻…