笠間城鳥瞰図 城が築城された時代は古く、この辺りを領した笠間時朝が、鎌倉時代の初期である元久2年(1205)か承久元年(1219)から、16年の歳月を費やして築城したとされ、現在の笠間稲荷周辺にあった居館に対する詰として機能していたという。 時朝は、宇都宮頼綱の弟塩谷朝業の次男で、笠間氏の祖である。笠間に入部した経緯は、城のあった三白山正福寺と引布山徳蔵寺との寺領をめぐる争いで、正福寺側から頼綱に援軍の要請があり、元久2年に時朝が遣わされたのが最初という。 時朝は、要請に沿って徳蔵寺を滅ぼしたが、正福寺が時朝を恐れて暗殺を企てたとしてこれも滅ぼし、以後は笠間の押領使となって地名を名字とした。こ…