前回記事で久米雅雄氏の説を検討しましたが、著書の一節に以下の記述が有ります。 <「魏使が不彌国以遠には足を伸ばさなかった、或いは伸ばせなかった」> →これに対する当方見解は以下です ●魏使者: 魏の景初年間以降に、魏使者「梯儁」と軍事顧問団?「張政ら」の少なくとも2回分の魏使者が倭に来ているのは文献上の明確な事実 ●報告書: 都まで行ったどうかは論議が有り置いておくとしても、使者らは倭には上陸していて、その経過を報告書にしたのは確実。 何か月もかけて倭まで往復したのだから報告書も膨大と推定(移動にかかった期間は不明)。 陳寿は史官として、当該報告書を見られる立場に有ったと思われます。 ただし、…