シェーンベルクの音楽が自分にとっては自律した細部の譲らない自己主張から生まれる「軋み」の体験だとすると、ベルクは細密さが過ぎるがゆえにカオスに転落しつつある「複雑性」の体験である。シェーンベルクの音楽がどこか生臭く、青白く、ささくれ立った人工性のものだとしたら、ベルクは腐臭があり、混濁し、過剰なまでの生暖かさがある。 ではウェーベルンの音楽はどう言えばいいだろうか。 そのことを考えていたら、20世紀前半における前衛音楽の熱心な擁護者であったヘルマン・シェルヘンやハンス・ロスバウトは、シェーンベルクはたくさん録音があるのに、ウェーベルンの記録がきわめて少ないことに気がついた。もちろんこれは、当時…