摩阿姫(まあひめ、1572〜1605)
前田利家の三女。
1582年に柴田勝家の家臣・佐久間十蔵と婚約したが、1583年の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が秀吉に敗れ、十蔵も自害。その後、1585年に秀吉の側室になが、ほどなく病気を理由に側室を辞し、公家の万里小路充房の元に嫁ぐ。前田利忠を産むが、充房と離婚して金沢に帰り、1605年に死去。