平家巻第十一 元暦二年正月十日、九郎太夫判官義経、 院の御所ヘ参って、大蔵の卿、泰経の 朝臣を以て申されけるは、「平家は宿報尽きて神明にも放たれ奉り、君にも捨てられ進ぜて、浪の上に漂ふ落人となれり。しかるを、この二、三ヶ年、攻落とさずして、多くの国々を塞げつるこそ目醒ましう候へ。今度、義経においては鬼海、高麗、天竺、震旦までも平家の有る限りはこへを攻むべき」 由をぞ申されける。 院の御所を出でて、国々の兵どもに向ても、「義経は 鎌倉殿の御代官として、 勅定を承り、平家追討のために罷り向ふ。 陸は馬の足の通はん程、海は櫓櫂の堪へん限りは攻むべきなり。これは無益、命ぞ惜しき、妻子を悲しきと思はん人…