昨日のブログで「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い」(詩編116:15)を取り上げ、信仰者の人生は神の目に喜ばれるものであると解釈してよいのではと書きました。 ふと思いました。自分の信仰者としての歩みを考えると自分の人生が神の目に喜ばれるものであるとは思えないと考える人がいるのではないかと。 私は、自分の努力によって神に喜ばれる者になれるという考え方は間違っていると思います。たとえキリスト者になっても自分の力によってよいキリスト者になろうとする考えは間違っていると思います。だから、そのような考え方に基づき、自分は神の目に喜ばれる者にはなれていないと考えるのも間違っていると思います。 使徒…