知人来りて嘆いて言うには。 家庭には家庭の領分があり、学校には学校の領分がある。それをはっきりさせて、責任の範囲内のみ、責任を負うのが筋である。以前流行った「家庭と学校とが連携する」旨は、聞こえは良いが、責任の所在を不明にし、互いの判断を鈍らせる。 戦後から、今日まで、何事も曖昧にしていた方が、双方にとって都合がよかった。教育現場で、子供達に各種の政治的刷り込みをするためには、教員が、子供の家庭に入り込みやすい雰囲気を醸成する必要があった。これは、中国や朝鮮の対日作戦、ソ連共産党の基本的な作戦の一つだった。教員を洗脳すれば、子供を、その親をも、洗脳できる。こんな手管は、すでに共産主義の教科書に…