姓を文、名を天祥、字を履善。(1236-1283)
南宋末の文官。弱冠二十にして科挙に合格し、丞相にまで至る。 元(モンゴル)の侵攻に対して抵抗するが投獄される。 牢獄の中で「正気歌」を書き上げ、征服者の元の世祖フビライすらを嘆ぜしめた。 フビライは最後まで彼を心服させようとしたが、牢獄の中で三年の間抵抗し、ついに彼を屈服出来ないと悟り、処刑された。
難波《なにわ》の旅寝をその夜かぎりとして、 次の日の主従《ふたり》はもう京へのぼる淀川舟の上だった。 「いい川だなあ、淀川は」 舟べりに肱をもたせて、 又太郎はうつつなげな詠嘆を独り洩らしていた。 「——わしの性分か。 わしは大河のこの悠久な趣《おもむき》が妙に好ましい。 川へ泛《う》かぶと、心もいつか暢々《のびのび》してくる」 「まことに」 右馬介は、すぐ相槌を打った。 「私としても、今日はヤレヤレという心地です。 天の助けか、一路ご帰国と、俄に、ご翻意くださいましたので」 「はははは。右馬介のやれやれと、 わしの暢々とを一つにされては迷惑だぞ。 “相似テ相似ズ”と申すものだ」 「はて、昨夜…
2024年10月31日時点での既刊のちくま学芸文庫全2,071点(セット版を除く)をあげた。文庫の整理番号順に従って表記(一部変更あり)した。「♾️」マークはMath&Scienceシリーズ(青背)を示す。人名表記の揺れ(例「シモーヌ・ヴェイユ」と「シモーヌ・ヴェーユ」)は訳者に従い、統一はせずそのままにした。編者、訳者は一部を除き割愛し、編著者が3人以上に及ぶ場合は代表者1人の名前のみ記した。 Math&Scienceシリーズのみの刊行書目一覧はこちら→ちくま学芸文庫M&S刊行書目一覧 最新版 - karumerabunkoのブログ 浅田彰『ヘルメスの音楽』 赤坂憲雄『異人論序説』 赤坂憲雄…
オフショア編集人・発行人である私、山本が、オフショア第四号各章のよみどころをご紹介。いや〜、しみじみと、すごい号です。第三号の生真面目さを、第四号で機動力に昇華できた感じ。 ご注文は、ぜひお近くの書店まで。ISBNを知らせていただければ、だいたい注文していただけるはずです。(書店に断られる場合は、その書店が「取次」という流通システムを通さないと仕入れられない仕組みになっている可能性がありますので、お手数ですが、より小さな書店で再度ご注文ください。小さな書店、個人経営の独立書店のほうが、柔軟な仕入れをおこなっていらっしゃる場合が多いです。)また、各書店さんのオンラインショップもご活用ください。オ…
【私本太平記16 第1巻 大きな御手〈みて〉⑧】 「あれを見い、右馬介」 「おあとに、何か」 「いや、覚一の姿が、まだわしたちを見送っておる」 「はて。見えもせぬ眼で」 「そうでない。見える眼も同じだ。 わしたちを振向かせているではないか」 ——この日、都を離れた主従は、 当然、数日後には、 東海道なり東山道の人となっているべきはずなのに、 やがて正月十日の頃、二人の姿は、 方角もまるで逆な難波《なにわ》ノ津(大阪)のはずれに見出された。 渡辺党の発祥地《はっしょうち》、 渡辺橋のほとりから、昼うららな下を、 長柄《ながら》の浜の船着きの方へ行く二人づれがそれで。 「若殿、どうしても、思い止ま…
2024/01/15 珍しく晴れ上がって青空が広がっていたので、休日にコートを着て近くを散歩した。大昔の時代の儒学の学校である「書院」というのが、中国のあっちこっちに復元されていて、そこら中で大なり小なり観光名所化され公園などになっており、そのうちの一つが住んでいるマンションの近所にあるので、初めて散歩に行ったのだ。 書院は川の中州に復元されており、屋根付きの橋を渡って歩いて行くのだが、これがまたいかにも大昔からあったかのような豪華な見た目で復元されている。地方都市も含めて、お金のあるうちにこういった観光施設をあっちこっちに作ってしまう、というのは我々の国も35年くらい前に経験したなぁ、なんて…
文 天祥(端平3年5月2日(1236年6月6日)- 至元19年12月8日(1283年1月9日))は、中国南宋末期の軍人・政治家。もとの名は雲孫。字は宋瑞、または履善。号は文山。吉州廬陵県富川(現在の江西省吉安市青原区富田鎮)の人。
読了、文天祥。南宋最後の宰相で自分の生き方を貫いた人。戦前の教育を受けた人には馴染みがあるらしいですが、私は全く知りませんでした。 臨安や襄陽の様子が見てきたように、南宋の内部状況も手に取るように描写されています。宋代史専門の先生が書かれただけあって、小説風で読みやすいのにしっかり全体状況がわかります。
〈論文〉モンゴル・元朝の対日遣使と日本の対元遣使 目 次はしがき一 モンゴル・元朝の対日遣使 1 遣使の次数と諸段階 2 威圧的勧誘 3 使者の称その他 4 国書の形式・書式植 松 正二 日本の対元遣使 1 北条時宗の遣使:一二七九 2 日本の遣使とされるもの:一二七二 i 趙良弼の日本遣使 ii 日本の使節団 iii 元朝の日本使節団に対する評価むすび余論 趙良弼書状についての考察 2はしがきこのところ、モンゴル・元朝と日本の接触に関する論考数編を書いた。長らく考えてきた分野でもなかったが、それでも最初の手探り状態と比べれば、自分なりに歴史的事象にイメージを描くことができてきたようにも思う。…