姓を文、名を天祥、字を履善。(1236-1283)
南宋末の文官。弱冠二十にして科挙に合格し、丞相にまで至る。 元(モンゴル)の侵攻に対して抵抗するが投獄される。 牢獄の中で「正気歌」を書き上げ、征服者の元の世祖フビライすらを嘆ぜしめた。 フビライは最後まで彼を心服させようとしたが、牢獄の中で三年の間抵抗し、ついに彼を屈服出来ないと悟り、処刑された。
難波《なにわ》の旅寝をその夜かぎりとして、 次の日の主従《ふたり》はもう京へのぼる淀川舟の上だった。 「いい川だなあ、淀川は」 舟べりに肱をもたせて、 又太郎はうつつなげな詠嘆を独り洩らしていた。 「——わしの性分か。 わしは大河のこの悠久な趣《おもむき》が妙に好ましい。 川へ泛《う》かぶと、心もいつか暢々《のびのび》してくる」 「まことに」 右馬介は、すぐ相槌を打った。 「私としても、今日はヤレヤレという心地です。 天の助けか、一路ご帰国と、俄に、ご翻意くださいましたので」 「はははは。右馬介のやれやれと、 わしの暢々とを一つにされては迷惑だぞ。 “相似テ相似ズ”と申すものだ」 「はて、昨夜…