姓を文、名を天祥、字を履善。(1236-1283)
南宋末の文官。弱冠二十にして科挙に合格し、丞相にまで至る。 元(モンゴル)の侵攻に対して抵抗するが投獄される。 牢獄の中で「正気歌」を書き上げ、征服者の元の世祖フビライすらを嘆ぜしめた。 フビライは最後まで彼を心服させようとしたが、牢獄の中で三年の間抵抗し、ついに彼を屈服出来ないと悟り、処刑された。
〈論文〉モンゴル・元朝の対日遣使と日本の対元遣使 目 次はしがき一 モンゴル・元朝の対日遣使 1 遣使の次数と諸段階 2 威圧的勧誘 3 使者の称その他 4 国書の形式・書式植 松 正二 日本の対元遣使 1 北条時宗の遣使:一二七九 2 日本の遣使とされるもの:一二七二 i 趙良弼の日本遣使 ii 日本の使節団 iii 元朝の日本使節団に対する評価むすび余論 趙良弼書状についての考察 2はしがきこのところ、モンゴル・元朝と日本の接触に関する論考数編を書いた。長らく考えてきた分野でもなかったが、それでも最初の手探り状態と比べれば、自分なりに歴史的事象にイメージを描くことができてきたようにも思う。…
十八史略とは 徳川家康をはじめとする戦国武将たちも愛読した「十八史略」。 これは中国の歴史書です。 内容は太古の伝説的な出来事から始まって、歴代の国のことを書いて、最後は元が南宋の支配圏を飲み込むまで。 特に宋(北宋)から南宋の滅亡までが詳しく書かれています。 長い期間の出来事をまとめて書いていますので、それぞれの時代の記述は簡単なものになっています。 中国の歴史を一通り頭に入れたいという時にはとてもよい本です。 十八史略の作者、書かれた時期 この「十八史略」を書いたのは曾先之そうせんしという人です。 書かれたのは元の初期。 南宋の役人だった曾先之が引退した後に執筆したもののようです。 出身は…
【ゆっくり歴史解説】 滅びゆく王朝に殉じた忠義の士 文天祥 【南宋】 動画 YouTube https://www.youtube.com/watch?v=xsPyUOLpWJY 中国の殉教者 文天祥(ぶん てんしょう) ウィキペディア(Wikipedia) より 文天祥は中国南宋末期の軍人・政治家。 滅亡へと向かう宋の臣下として戦い、宋が滅びた後は元に捕らえられ何度も元に仕えるようにと勧誘されたが忠節を守るために断って刑死した。 張世傑や陸秀夫と共に南宋の三忠臣(亡宋の三傑)の一人。 刺客列伝 ウィキペディア(Wikipedia) より 中国の歴史書『史記』の列伝の一つ。曹沫、専諸、豫譲、聶…
2024年は、まずは朗読です。1月27日(土)池田市のコミュニティースペースにて。カフカの恋人でも知られる、チェコのジャーナリスト、ミレナ・イェセンスカーの記事を読みます。1923年の記事なので、100年前。そんな時の差を忘れてしまう面白さです。『翻訳文学紀行Ⅳ』と『翻訳文学紀行Ⅴ』の刊行を記念して開催されるイベントで、私は27日(土)昼からの回ですが、夕方からはチェコのミステリーの回があり、翌28日にはスワヒリ語文学、そして中国の詩と。それぞれ作品朗読と訳者による解説・お話と言う形になっております。なんと、無料ですよ(ご寄付歓迎)。note.com~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~朗…
(特攻隊の人権を考えます) 1)英霊 ウィキペディアの英霊の説明は以下です。(筆者要約) < 英霊(えいれい、英靈)とは、死者、特に戦死者の霊を敬っていう語(この意味では日本語としてのみ用いられる)。また、英華秀霊の気の集まっている人の意で、才能のある人、英才を指す。 日本では幕末に藤田東湖の漢詩「和文天祥正気歌」(「文天祥の正気の歌に和す」)の一節「英霊未嘗泯/長在天地間」(「英霊いまだかつて泯びず、とこしえに天地の間にあり」)という漢詩の一節が志士の間で詠われ広まった。 さらに日露戦争以降、特に国に殉じた人々、靖国神社・護国神社に祀られている戦没将兵の「忠魂」・「忠霊」と称されていたものを…
今日はこのシリーズの続き。 hiroringo.hatenablog.com 『小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。 【新装版】小室直樹の中国原論 作者:小室直樹 徳間書店 Amazon 14 第5章を読む_前編前半 今回から第5章に移る。 第5章のタイトルは「中国の最高聖典_それが『歴史』」。 「中国人や中国社会における歴史の重要性」についてみていく。 この点、中国において歴史が重視されていることは次の読書メモでも触れている。 hiroringo.hatenablog.com hiroringo.hatenablog.com そこで、上の読書メモで触れている部分については軽く…