越中三大山城のうちのひとつ。二上山系の城山にあり、二上城ともいう。 守山城の築城時期は不明だが、南北朝時代の建徳2年(1371)に、南朝方の桃井直常が斯波義将の本城守山を攻め落としたと史料にあることから、南北朝時代には既に城として整備されていたことが判る。 斯波氏と言えば、越前を領国とするイメージがあるが、家祖高経が越中守護に補された事が越中との関わりの最初で、その歴史は古い。越中守護職は、後に高経の四男義将に引き継がれ、貞治5年(1366)の貞治の変の後に一時桃井直信へと代えられたものの、翌年の高経の死没後に義将が幕府と和解した際に最初に守護に復帰した国になるなど、斯波氏にとって重要な拠点国…