米軍が作成した調査報告書 1944年7月31日、ビルマ(現ミャンマー)北部のミイトキーナ(ミチナ)に立てこもる千人以上の日本軍が、夜陰に紛れ、陣地脱出を決行した。同年5月に始まる連合軍の猛攻撃で玉砕寸前にあったミイトキーナ守備隊の最後の選択だった。脱出した日本軍のうち、200人近い兵士が連合軍の捕虜になるのだが、その中に20人の若い朝鮮人女性と年配の2人の日本人男女がいた。こんな最果ての最前線の戦場に、なぜ民間人がいたのか。連合軍の捕虜になった女性たちは、8月15日にミイトキーナから軍用機でインド北東部のレド収容所に移送され、20日間に渡り尋問を受けることになる。 尋問したのは米陸軍・戦争情報…