☆🐟☆🐟☆ ぐつぐつと煮えたぎる火の玉のように ☆🐟☆🐟☆ 🌹京城(けいじょう)商工実務学校を終え、1941年に日本に留学しました。♦日本をh深く知らなければならないという考えから出発した留学でした。汽車に乗って釜山に下っていくとき、なぜか涙があふれて、外套を被っておいおい泣きました。♦涙と鼻水が止まらず、顔はぱんぱんに腫れあがっていました。♦植民統治下で呻吟(しんぎん)する孤児に等しいわが国を後にする心は、これ以上ないほど悲しいものでした。そうやって泣いた後で窓の外を見ると、わが山河も私以上に悔しく悲しそうに泣いていました。♦山川草木(さんせんそうもく)から涙がぽろぽろと流れ落ちる様を、私は…