「なんでもやりたいことやっていいよ」はいつしか「やりたいことなんでもいいからやってみれば?」になり「やりたいことなんでもいいからやりなさい」になり「(したいしたくない関係なく)なんでもいいからやりなさい」になった。生きていて本当の「なんでも」なんて無いのだ。「何もやりたくない」「何もしない」はそもそも選択肢として並んでいない。いつも、いつも、そうだ。 今ある幸福を雑に扱うと咎められる。贅沢も、努力の結果ではなく偶然の産物であると、嫉まれる。積極的であること、行動的であること、ポジティブ、できる限り良い影響力、内面的な豊かさも人に認知されてこそ...、そういうものが美徳、“で、あるべき”とされる…