最近「書きたい欲求」は強くあるのに、実動が伴いません。書くばかりでは言葉が枯渇してしまうので、「読む」ことで言葉の潤いを脳に足さなければいけません。 はい、ここで虹夫さんは脱落ですね。読むとか書くとかは理解不能だと明言してる方なので。 自分でも変なこと言ってるとは思いますが、「書く」ことで私の中から放出された言葉は、「読む」ことでまた私の中に取り込んで循環させないと、次にまた「書く」ことは出来ないのです。 知識として知っている言葉でも、常に放出と取り込みをしていないと活きた表現とはならないとでも言うか……。 このように何が言いたいかよく分からない状態と言うことは、やはり言葉が枯渇しているに違い…