月亭可朝

(アート)
つきていかちょう

落語家・漫談家。人間国宝・桂米朝の弟子で月亭八方の師匠。1938年横浜市生まれ、2018年没。
20歳の時に三代目林家染丸に入門。翌年、林家染奴として落語家デビューを果たす。
しかし短期間で破門されるも、桂米朝に拾われる形で再入門。桂小米朝を名乗る。
1967年頃、当時所属していた吉本興業の社長・林正之助氏の意向により改名を促され、
幕末から明治に掛けて活躍した落語家四天王の一人である月亭文都ゆかりの亭号、
「月亭」を復活させる形で、1969年に初代月亭可朝を襲名した。
桂米朝の一番弟子だった桂米紫の死後は、本来であれば筆頭弟子の立場であったが、亭号を月亭に移した後ろめたさか、あるいは所属事務所が異なるためか、一門の集まりでは弟子の筆頭の座席に座るものの、一門の運営に関してはほとんど口を出さなかったという。
また、流石に桂米朝師匠が見込んだだけのことがあり落語は達者で、弟弟子らにも一目置かれていた。
過去二度参院選に出馬経験がある他、競馬で勝ったカネで買った仏壇の蝋燭の火によって家が全焼するなど、エピソードには事欠かない人物。
ギター一本で歌った「嘆きのボイン」は大ヒットした。
他にも、テレビドラマや映画・Vシネマなどに数多く出演している。
一番弟子の八方など自分の弟子たちには、恩人の故・八田竹男氏(元吉本興業社長)に因んで、
全て「八」の字を付けている。これは末広がりで縁起がいい、と言う意味も含まれている。
トレードマークは白地に太い黒線のカンカン帽とチョビヒゲ、そしてスッポンメガネである。
現在は吉本を離れ、ケーエープロダクションに所属している。

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