「あたいはね、先生――お弁当持ってきたよ、あたいん家(ち)ではね、昨日……だか何日だか、区役所からこんなにお米を買ってきてさ、そいでねえ、ねえ先生――」「そうか――」と杉本は答え、まだまだ何か話したげな子供を促して階段を登るのであった。「またあとで聞くからな、みんなが教室で待ちくたびれてんだろうよ」 そんな単純な喜びを全身に感じてじっとしていられないような子供を、四十名近く杉本は受け持っていた。尋常四年生にもなって――だからそれは教育上の新施設として低能児学級に編制されたのである。彼らもまたせめては普通児なみの成績に近よらせたいために、それからそれがだめならば可能な限り職業教育を受けさせたいた…