私は袁術のファンということではないのだがここのところ袁術絡みの記事を多く書いた。袁術自体は記述が少なくその謎が多いながらも、袁術の周縁(曹操、劉備、孫策、呂布)には考察の情報が豊富であるということも理由だろう。 190年代の袁紹陣営など公孫瓚や黒山賊、張楊から考察しなければいけない。それに比べればずっと楽だ。 それでも敢えて避けているテーマはある。袁術の揚州入り前の揚州刺史を巡る疑問、揚州入りの際の戦闘、孫賁の豫州刺史任命の問題など、書こうかと思いつつも放置している。 だが、ここのところの袁術絡みの記事のついでに頭の中で膨らんできた想像についてはメモをまとめておきたい。それは袁術の衰亡に関して…